新天地

思考を止めるな

濡れたお札

iPhoneの画面の端が割れていて、そのガラスの破片が指に刺さった。すこしの痛みは神経と感受性を鋭くさせる気がする。

 

世の中わからないことばっかりで、それがいたく残酷だと思った。誰かに分かられたいけど簡単に自分のことを教えてなんてやるかっていう拗れた自己意識のおかげで僕は同じ穴の狢のことは特別愛せる。血には恵まれず、最低のルーツだとうんざりする夜があっても、べつに家族がいるから。

 

このまえ開けたトラガスが腫れて、少しあくびをするとにぶく痛んだ。悲観主義になってるなんて言ったけど、それは違った。わたしは昔から悲観主義で、環境に耐えうるために順応して透明になっていただけだった。ちゃんと、自分は恵まれてるだとか幸せだなんて言葉をポーズ以外で、本心から吐いたことがないくらいに悲劇のヒロインだった。

 

誰も起きてないみたいに静寂が痛いこの時間は、全てが自分のものみたいでやっぱり気持ちが良い。夜はやめられなくて、音が宗教で、それに浸れて雑念に耳をすませる環境について珍しく幸せなのかなあとか思えた。等身大の幸せを数えて必死に生きて、もうちょっと自分を大切にできますように。